ウオッチマン・ニー愛読者会
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ウオッチマン・ニー

証 し


前途を放棄する


 今、ここに座っている人たちの中に少なくとも三人は、以前のわたしの同級生です。特に魏光禧兄弟は、わたしが以前、どんなに悪い学生であったか、同時に学校では、どんなにすばらしい学生であったかを、証しすることができます。悪い面では、よく学校の規則を破っていました。よい面では、神がわたしに生まれつき才能を下さったので、わたしはいつもどの試験でも一番でした。論文はよく掲示板に手本として張り出されました。その時わたしは若く、多くの大きな夢と、前途に多くの計画を持っていました。そして、自分の判断は健全であると思っていました。へりくだって言いますが、努力しさせすれば、自分の達したい目標の到達できると思っていました。わたしの同級生たちも、このことを証ししてくださることでしょう。ところが救われた後、多くの新しい事がわたしに起こりました。これまでの計画していたことがみな泡と化し、終わってしまいました。わたしの前途も、ことごとく消え去りました。別の人には、これは容易であるかもしれませんが、多くの理想、夢計画のあるわたしには、容易ではありませんでした。わたしは救われた夜から、新しい生活を開始しました。なぜなら、永遠の神の命がわたしに入ったからです。
                     (ウオッチマン・ニー全集 第二期 第二六巻 ウオッチマン・ニーの証し より)No202

救いの証し

 その当時、わたしの母はまだはっきりと救われていたわけではありませんが、どのように祈るかを知っていました。ですから、彼女は主に、「もし、あなたが男の子を与えてくださるなら、その子をあなたにささげます」と告げました。主はその祈りを聞かれ、わたしが生まれました。わたしの父は、「おまえが生まれる前に、お母さんは主におまえをささげると約束したのです」と話してくれました。




ウオッチマン・ニーの生家
わたしは一九二〇年、十七歳の時に救われました。多くの人が救われる時の問題は、どのように罪から解放されるか、といこうことです。しかし、わたしには、罪から救われることと生涯の事業とが、一緒になっていました。
 一九二〇年四月二十九日の夜、わたしは一人で自分の部屋にいました。座っても横になっても、平安がありません。というのは、主を信じるべきかどうかという問題が、内側にあったからです。そこでひざまずいて祈り出しましたが、初めのうち、祈りの言葉がありません。しかし、そのうちに、多くの罪がわたしの前に現れたので、自分は罪人であることを知りました。わたしは十字架に釘づけられた主の両手を伸ばしてわたしを迎え、「わたしはここであなたを受け入れようと待っている」と言っておられるのを見ました。そのような愛に征服されたわたしは、もう拒むことができなくなり、彼をわたしの救い主として受け入れようと決心しました。その夜、ただ一人いる部屋は光が満ちて、自分がどこにいるかもわからなくなりました。わたしは主に向かって言いました、「主よあなたは真にわたしを恵んでくださいました」。
              (ウオッチマン・ニー全集 第二期 第二六巻 ウオッチマン・ニーの証し より)No201




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