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十二かご


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*福音真理問答

マグダラのマリヤの主に対する認識

 マグダラのマリヤが主の墓の外で泣いていると、白い衣をまとった二人の御使いが、「彼女に言った、『女よ、なぜ泣いているのですか?』。彼女は彼らに言った、『だれかがわたしの主を取り去って、彼をどこに置いたのか、わからないのです』。彼女はこう言って、後ろを振り向くと、イエスがそこに立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであるとはわからなかった」(ヨハネ二〇・十二−十四)。マリヤが何年も見、また従ったイエスを振り返って見た時、彼女がそれをイエスであると認識できなかったのは不思議なことです。マリヤは以前主をよく知っていましたが、その時、主であることが全くわかりませんでした。その理由は、肉体を着ておられた御子は、十字架につけられ復活されたからです。マリヤが見たいと思った体は、なくなっていました。肉体によって主を知っていた人たちはみな、主が復活された後は、もはや主を知ることがありませんでした。彼はもはや、マリヤの知っていた主イエスではありませんでした。マリヤの知らない主イエスになっておられました。彼はもはや歴史上のイエスではありませんでした。彼はその霊の中で生きておられました。彼はもはや肉体にある主イエスではなく、その霊にある主イエスでした。肉体にある主をマリヤが知っていたその方法では、もはや主を知ることができなくなっていました。
                             (十二かご 第一集 主に対する二種類の認識 より)No30202

主に対する二種類の認識


 イエスの復活の日から今に至るまで、主に対する認識に二種類のものがあります。一種類の認識は肉によるものであり、もう一種類の認識はその霊によるものです。コリント人への第二の手紙五章十六節の中で、パウロは次のように言いました、「ですからわたしたちは、今から後、だれをも肉にしたがって知ろうとはしません。たとえキリストを肉にしたがって知っていたとしても、今はもはや彼を、そのように知ろうとはしません」。ガラテヤ人への手紙第一章十五節から十六節の中で、パウロはまた次のように言いました、「神が、御子を喜んでわたしの中に啓示し」。これらの節は、わたしたちが今日主イエスを知ることができる適切な手段を見せています。聖書から二、三の具体例を考察することにより、主イエスに対する二種類の認識をみることしましょう。
                             (十二かご 第一集 主に対する二種類の認識 より)No30201




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